<a href="http://futuregate.exblog.jp/">futuregate.exblog.jp</a>
英国の戦争の歴史シリーズ(Ⅲ)

英国の戦争の歴史シリーズ(Ⅲ)
―英語の語彙の半分以上はフランス語を起源とするんだそうです―
国の標語 : Dieu et mon droit
(:神と私の権利)

           
b0080738_116229.jpg

 上記の標語はフランスの「国の標語」ではありません。イギリスの「国の標語」なのです。
でもこれフランス語ですよね。どうしてこんな事になったんでしょうか。
それは次のような理由からと考えられます。
征服王ウイリアム1世の開いたノルマン王朝は、完全なフランスからの侵略王朝でしたから当時のイギリスの
公用語はフランス語でした。イングランド国内でも長い間フランス語が使われていました。
結果、在の英語の語彙の5割以上がフランス語を起源とするものとなったということは、
言語学上の常識になっています。

 この後のイギリスの歴史は、ひとつはフランスとの関係を横糸に、ひとつは国内のウエールズ、
スコットランドとの関係
を縦糸として目まぐるしく展開していきます。
そして、その影に常にキリスト教の影響が存在しています。
一例をあげますと、高校の世界史の教科書に必ず登場する「100年戦争」
フランスとの関係の上に位置づけられます。

ここでは大混乱を避ける為もあり、まづ「フランスとの関係」を軸としてお話を進めて行きます。「ウイリアム1世=ギョーム1世」の開いたノルマン王朝
微妙なところのある王朝でした。
立場上、彼はフランス王と対等な関係である独立王朝であるイングランド王であると同時に、ノルマン公としては
フランス王の臣下の立場にありました。このことが以後のフランスとイングランドとの抗争に関係してくるわけです。

ノルマン王朝は4代で絶えましたが、以降のイングランド王朝は「ウイリアム1世」の血脈の中に
保たれ、今日に至っています。
その後、フランスの伯爵家から縁続きの王がイングランド王に招かれプランタジネット王朝が成立しましたが、
この王朝はノルマン公領に加え伯爵家領もフランス国内に持っていたので、フランスとの関係は
ますます悪くなっていきました。

此処でまたまた高校世界史の定番の登場です。議会による王権抑制策のシンボルである、
あの「マグナ・カルタ」を認めさせられたイングランド王「ジョン」はこのプランタジネット王朝の第3代の王様です。
この時点で1215年のことです。イギリスでは日本の鎌倉幕府のころ既に議会の台頭が見られたのですね。
この後、イングランドはウエールズの征服に取りかかりますが、それを挟んだ時期に、
フランスとの百年戦争に入ってきます。

今日のテーマは世界共通語の英語もフランス語との関わりの中で今日に至っているのだということです。
でもイギリスの「国家の標語」が今もフランス語のままなんて、知らなかったでしょ。

「百年戦争」と言い、「マグナ・カルタ」と言い、なんだか、高校の授業みたいになってきました・・・。
[PR]
by futuregate3 | 2006-10-02 11:20
<< スコットランドやウエールズでは... 英国の戦争の歴史シリーズ(Ⅱ) >>