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英国の戦争の歴史シリーズ(Ⅳ)

英国の戦争の歴史シリーズ(Ⅳ)
―近親憎悪的抗争、100年戦争への道。あのジャンヌ・ダルクもいよいよ登場―


イギリスが、完全に「フランス人が」、「フランス人により」、「フランスのために」、ではなく
「自分たちのために」作った、作られた国であることは言語的な考察からもお分かりいただいたと思います。
この間の英・仏両国の抗争には、何か「仁義なき戦い」を彷彿とさせるものがあります。
かつての子分が、もと親分の力を凌ぐ勢力となり親分に抗争を挑んでくる、『仁義なき戦い』そのものです。
           
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プランタジネット王朝の開祖ヘンリー2世


 イングランドの力が急速に伸びたことがその大きな原因でした。イングランドは長い時間の流れの中で、
出来上がった国ではありませんでした。侵略王朝ですから、土地と住民を征服・支配することが第一の目的であり、
封建制の基本である功績に応じて部下に領地を与えるための国土があらかじめあったわけではないので、
侵略する力が強く、封建制が発展していく過程を省略して、始めからある程度のレベルで機能していた
ということです。


 どこかの国のどこかの話とよく似ていると思いませんか?「ウイリアム1世』に始まる、『ノルマン王朝』、
『プランタジネット王朝』は日本の織田信長とその家臣団とよく似ています。
「私、作る人」「私、食べる人」という階層的ヒエラルキーが確立していた集団を想像しただけで
その強さが、うかがい知れます。封建制度自体が強力な戦闘集団を作る手段でもあるわけですから、
当時のイングランドの軍事組織は「めちゃめちゃ」強かったといえます。

 ノルマン王朝が一旦途絶えた後、その血筋を引くフランス人貴族のアンジュー伯アンリがフランス国内に
ピレネー山脈から南フランスにいたる、広大な領土を持ったまま、イングランド国王に即位しました。
このことがノルマン王朝以来のイングランド王家のフランス国内の領土所有の問題に拍車をかけたようです。
1154年のことです。いずれにしても上の領土にノルマン公領を加えると無視できない領土になります。

彼は「ヘンリー2世」としてプランタジネット王朝の開祖となりました。
この時点で彼は自分のことをフランス人と考えていたようで、フランスの内ゲバ、内紛の色彩が強かった様です。
現在の日本で言えば関西以西がよその国の領土に突然なるくらいの騒ぎでした。

 さてこの領土問題をめぐり、歴史学者によれば、1377年におきたといわれる、あのジャンヌ・ダルクも登場する、
『100年戦争』の時代が始まります。

 プランタジネット王朝は1399年まで続きましたが、後を継いだ王朝もその系統と言われていますので、
その流れは1500年代まで続いたことにます。当時ヨーロッパは既に「十字軍」の時代でした。
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by futuregate3 | 2006-10-05 09:28
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