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英国の戦争の歴史シリーズ(Ⅷ)

英国の戦争の歴史シリーズ(Ⅷ)
少し先を急ぎます。テューダ王朝、最後の王様、エリザベス1世の登場です。

     
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「私は王国と結婚したのです」
-エリザベス1世-


 エリザベス1世はスペインの『無敵艦隊』を撃破し、戦乱と内乱に明け暮れた結果、疲弊しきっていた
イギリスを、「大英帝国」として世界に冠たる「世界帝国」に押し上げました。
女王メアリーの後を継いで王位に即位し、テューダー王朝最後の王位に就きました。1534年のことです。
当時のスコットランド王国の女王の名も、メアリー1世でした。


国内的・国外的ににも混乱を極めた時代背景での登場
 当時のイギリスは、このブログではまだ触れていませんが、ブリテン島内における、ウエールズ、
スコットランドとの征服と抵抗の戦い、プロテスタントとカソリックの抗争も含めて、色々な意味で
「一杯、一杯」の状態でした。事実エリザベス自身が、即位に先立つ何年間をロンドン塔に幽閉
されていたぐらいですから・・・。

国教会・プロテスタント・カソリック
 父親のヘンリー8世により、自らの離婚―再婚を正当化する上で作られた『英国国教会』が原因となり、
従来の国内外の騒乱に加えてプロテスタントとカソリックの争いに国教会を交えた宗教の不安定さが重なり、
イギリスは「ハチャメチャ」な状況下にありました。彼女は25歳のとき即位しましたがその直前まで
義理の姉であるメアリー1世によりロンドン塔に捉えられ、その死とともに王位に就いたのです。
理由は彼女のもつ王位継承権の問題と彼女がプロテスタントとして育てられたことにあると
言われています。

カソリック勢力の制圧-国内も安定化
 彼女自身はプロテスタントとして育てられたのですが、女王に即位した後は、父親の後を踏襲し、
法王庁と完全に断絶しました。法王庁のこれに対して波紋と言う形で応酬しました。
国内的には北部に多かったカソリック諸侯を徹底的に弾圧しました。
また積年のイギリスにとっての問題に彼女は2つの大きな足跡を残します。
一つはイギリスに亡命していた前スコットランド女王メアリースチュアートを処刑することで
国内のカソリック勢力の力を完全にそいだこと、一つは自分の後継者に
スコットランド国王ジェームス6世(メアリースチュアートの息子)を指名したことです。
このことについては別にご説明したいと思います。

ピューリタン革命への伏線
これにより国内の安定は確保されましたが、教会政治において、カルバン主義が支配的だった
プロテスタント教会が長老制を敷いていたのに対して、国教会はローマ教会同様に監督制を
敷いていたことなどこの後のこれまた高校世界史の定番、「清教徒革命」、「クロムウエルの登場」
につながる伏線は敷かれていました。

スペイン無敵艦隊の撃破、世界帝国への途
とりあえずは、エリザベス1世の登場により、イギリス国内は安定期に入ります。
国内の安定を待って、フランス・スペインとの対立を迎えます。
フランスとはユグノー教徒の氾濫を支援することによる、スペインとはネーデルランド(当時のオランダ)
の支配権を巡り対立します。
スペイン軍のイギリス直接侵攻を目前とする時期にドーバー海峡でのスペイン無敵艦隊との海戦に
歴史的大勝利を収めるのです。此れにより世界帝国としての大英帝国-連邦への歩みが始まります。
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by futuregate3 | 2006-10-12 11:33
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