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英国の戦争の歴史シリーズ(Ⅹ)

英国の戦争の歴史シリーズ(Ⅹ)
『クロムウエル』の登場。~清教徒革命へ


 時代の流れに逆行する形で、ジェームス1世とその息子で、『ステュアート王朝』、2代目の
チャールズ1世は絶対王権の確立(王権神授説を信奉)を目指しました。
しかし当時のイングランドは成熟した議会を持ち、その議会を基盤とした有力な貴族の存在
エリザベス1世の下で飛躍的に発展した重商主義の影響と市場経済の発展、宗教改革後の
カルバン主義のプロテスタント教会などが力を持つなど
、絶対王政の確立などやや時代錯誤の面も
多かったようです。議会を敵に廻し、有力な貴族たちを敵に廻し、プロテスタントを敵に廻すと言った具合で、
実質的には『四面楚歌』状態でした。

1625年に父の死去により王位を継承した『チャールズ1世』は父親にも増してこの傾向が強かった様です。
特にフランス王室からカソリックの妃を迎え、また国教会による宗教統一を目論んだので、
プロテスタントとの緊張関係はどうしようもない所まで、高まっていました。そのような状況にあるにも拘らず、
彼は議会への攻撃を増していきました。
 1642年、反国王派の有力議員5名を逮捕した事件を「きっかけ」にして『王党派』と『議会派』
との内戦が始まりました。これが「清教徒革命」のはじまりです。
             
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スチュアート朝の第2代王、チャールズ1世


 当初は互角の戦いであった両派も、クロムウエル率いる鉄騎隊の活躍もあって議会派に有利に推移し、
スチュアート1世は2度の降伏と1度の脱走の後捕えられ、裁判により死刑が確定しました。1649年に公開のもとで、斬首の刑に処せられたのです。此処からはクロムウエルが「護国卿」
として国を指導しました。王様の首をはねたと言うことで「怖い人」のイメージが強い彼ですが、
教養人であり、原理・原則的なプロテスタントで、評価出来る部分も多い人です。この時点で
実質的にはイングランド、スコットランドの範囲で、名目的にはアイルランドも含めて、グレートブリテンが
形成されたと言ってよいでしょう。
今からおよそ、400年前のことです。

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by futuregate3 | 2006-10-14 11:52
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