<a href="http://futuregate.exblog.jp/">futuregate.exblog.jp</a>
英国の戦争の歴史(ⅡⅩ)

英国の戦争の歴史(ⅡⅩ)―7年戦争―
プロイセンへの財政援助による、代理戦争です。


オーストリア継承戦争で、軍事的天才といわれた、「フィードリッヒ大王」を仰ぐ「プロイセン」は、
『一人勝ち』といわれるほどの領土を拡大しました。

オーストリア、フランス、スペイン、スエーデンなどはこのプロイセンの背力を何とか減じたいと、
プロイセンと対立関係にありました。
一方北米大陸。インド大陸では植民地の領有をめぐりイギリス。フランス間の戦いが激化していました。
このような状況の中、イギリス・プロイセン対、上記の諸国にドイツ諸侯国を加えた対立の図式が
出来上がりました。イギリスの財政援助があったとはいえ、直接戦ったのはプロイセン対他の
諸国連合になります。人口比で言うと、400万人対8000万人という、とてつもない状況の中での戦い、
だったにもかかわらず、フリードリッヒ大王の軍事的天才性がこの戦いを互角以上のものに
持ち込みました。1756年に始まった7年戦争です。
18世紀、ヨーロッパを巻き込んだ三回目の戦いです。プロイセンは戦い抜き、『ドイツ帝国』
つながっていきます。
 
b0080738_16224730.jpg

オーストリア軍を撃破し、近代機動線の先駆けとなった、ロイデンの戦いの後の
フリードリッヒ大王(中央に描かれた人物)。200kmを移動しての機動線でした。
激戦の様子が覗えます。


b0080738_16251825.jpg
フリードリッヒ2世(大王)


フリードリッヒ大王は、音楽・芸術を愛し、国内の各方面の改革に熱心で、質素な王室経営から
軍事力を飛躍的に伸ばしました。所謂、『啓蒙絶対君主』の一人とされています。
軍事的な天才という評価が先行していますが、軍事ばかりでなく、非常に才能豊かな人物で
あったようです。作曲家「バッハ」との親交は有名です。

 ところで、主人公、『イギリス』はどうしたかというと、戦争の後半には財政援助も困難となり、
経済的な疲弊の中から、同盟を解除し、戦線から離脱します。同様の事情は、ライバル、
フランスにもあり、それは、より深刻でした。イギリスの場合、この経済的疲弊が、北米植民地
に対する重税につながり、植民地の反感を招き、やがてアメリカ合衆国の独立につながります。
それでもイギリスはこの経験を生かし、カナダは英連邦にとどまらせ、インド帝国の創設にこぎつけ、
世界的視野では植民地を「しぶとく」広げていきます。フランスは、というとインド大陸の覇権を失い、
北米大陸の植民地をすべて失い、「ジリ貧状態」におちていきます。
次にはこれが、「フランス革命」、『ナポレオンの登場』と続いていきます。

 絶対王政のまま18世紀を迎えたフランスと、いろいろな騒乱。戦いの末に、混乱の中から、
立憲君主制まで漕ぎ着けていた、イギリスとの違いなのでしょうか。
そして19世紀のヨーロッパに登場する新たな大国「ドイツ帝国」の礎は一人の天才により作られました。

[PR]
by futuregate3 | 2006-11-06 16:33
<< ロンドン低授業料校の実態シリー... ハプスブルク家―ヨーロッパの超... >>