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英国の戦争の歴史(ⅡⅩⅠ)―ナポレオン戦争―

英国の戦争の歴史(ⅡⅩⅠ)―ナポレオン戦争―
厳密に言うと、ナポレオンはフランス人ではありません。


歴史の流れから言うと、ナポレオン戦争の前にフランス革命に飛ばなければいけないのですが、
このブログは戦争を通してのイギリスの歴史をテーマにしています。
そこでナポレオンの登場につながります。悪しからず・・・。

早速ですが、ナポレオンはどこの出身だかご存知ですか?そう、イタリアの西方の地中海上に浮かぶ大きな島、
「コルシカ島」ですよね。ここまではどなたもご存知だと思います。
この、「コルシカ島」-イタリア半島のすぐそばにあります。実はナポレオンの生まれる少し前まで、
イタリアの『ジェノバ』の領土だったんです。コルシカ島は、1769年にフランス領になったんですが、ナポレオンの生まれたのが、ちょうど1769年なんです。
あのイタリア=コロンブスもジェノバ人でした。でも彼の航海はスペイン王国の事業として行われました。ここでも『種』としての人種は意味を持っていません。ヨーロッパはひとつ、の実例でしょうか。
ですから、言い方ひとつで、ナポレオンもイタリア人ということになります。
           
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若かりし頃のナポレオンの肖像画


 コルシカの、貧乏貴族の子息であったナポレオンはフランスの士官学校に入ります。
背せきはひどく悪く、58人中42番でした。一番人気にない砲兵科に在学しました。
どうやら天才=ナポレオンというのも眉唾のようです。歴史を司った神の摂理か、16歳にして
士官学校を卒業してからの彼は時代の背景とラッキーさに支えられ、トントン拍子に出世します。
彼が軍人になって、6年目にフランス革命が始まります。ナポレオンがなにをしたかというと、
当時フランス革命の主流派『ジャコバン党』を支持するチラシを自分で作り配布しました。
何でこんなことをしたか、『ジャコバン党』の幹部に注目されるためです。彼は同時に人目を引く
パフォーマンスもしました。当時、王党派を支援する、イギリス軍に占領されていた軍港
「ツーロン」を彼らの手から奪い返したのです。
当時王党派と革命派に軍隊も分裂していましたから、貴族しかなれない将校は基本的に人材
不足状態でした。彼はいっぺんに注目を浴び、わずか25歳で革命軍の少将に上り詰めました。
と思ったら『ジャコバン党』が失権し、彼も一時逮捕されたりします。
ここからが運の強さというか、神の摂理というか、彼の前に一人の女性が現れます。
後のナポレオン婦人「ジョセフィーヌ」です。彼女は社交界の花形で革命政府の大物政治家の愛人でした。
時を同じくして、パリで起きた王党派の反乱を鎮圧し、大物政治家の後ろ盾もあり、革命軍の
国内軍司令官に復活します。その後、オーストリア軍と対戦すべくイタリア派遣軍総司令官として
歴史の表舞台に登場します。ナポレオン、26際のときです。
一介の、イタリア人だったかもしれない彼が、フランス人として歴史に浮かび上がってくるのは
このときからです。
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by futuregate3 | 2006-11-08 13:14
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