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英国の戦争の歴史(ⅡⅩⅢ)第2次対仏同盟
英国の戦争の歴史(ⅡⅩⅢ)第2次対仏同盟
ナポレオンは、危うく敵前逃亡罪で処刑されるところでした。


 1798年11月イギリス、ロシア、オーストリアが中心となり、第2次対仏同盟が結成されます。
1799年になるとオーストリア軍が北イタリアを奪い返し、フランスを圧迫します。
 フランス国内では総裁政府に対する批判が高まる中、ナポレオンはイギリス軍に包囲されている中、
エジプトを脱出し、フランスに戻ります。
 この時、ナポレオンには「敵前逃亡罪」の嫌疑がかけられていましたが、逮捕の前に彼は吟じ
クーデターを起こし、総裁政府を倒します。『ブリュメールのクーデター』です。
これによりブルジョワ階級の中で政争の場となっていた、「総裁政府」は倒れ、「執政政治」が
ほんの少しの間続きます。実はこのクーデター、ナポレオンが首謀者ではありませんでした。
彼は当初はその武力を利用されたに過ぎなかったのです。
             
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アルプスを越えるナポレオンを描いた絵―あちこちで見ます、格好いいですね
でも本当はロバだかラバに乗ってたんです。


しかし、彼はその国民的人気と武力から、新政府の第一執政としてまつり、あれよあれよという間に、
まつりあげられると、あれよあれよという間にその独裁権を確立します。
1800年彼はアルプスを越えて北イタリアに侵入、オーストリア軍を撃破しました。
 オーストリアは1801年そして最後まで戦ったイギリスは1802年にフランスと停戦条約を結び、
1年と少しだけヨーロッパに平和が戻りました。優勢なフランスはライバル、イギリスに対し、
強気に出ます。イギリス製品のヨーロッパ市場からの締め出し策です。
当時産業革命も同時進行中でイギリスはヨーロッパの工場といわれていましたがこの面でもフランスは
イギリスのライバルでした。両国の緊張関係は高まっていきます。

1803年、イギリスは再びフランスに対し、宣戦布告をします。
一方、ナポレオンは翌年帝政の開始を宣言し、自ら皇帝に即位します。
イギリス対フランスの戦いは、対ナポレオン個人との戦い、となってきます。
第3次対仏同盟の始まりです。1805年です。
 第3次対仏同盟戦争は陸戦ではフランス、海戦では連合軍という勝ち負けの明確な戦いが続きました。
陸上の戦闘はフランス陸軍のもっともっ華々しい時期でオーストリア帝国を実質的に崩壊させました。
ただスペインのトラファルガー岬、沖合いの海戦ではイギリス海軍のネルソン提督が、フランス、
スペインの連合艦隊を壊滅させ、ナポレオンのイギリス上陸計画を頓挫させました。
これにより35万人の兵士をイギリスに上陸させてイギリスを占領しようとしたナポレオンの目論見は消えたのですが、『たら、れば』の世界の話ですがbもしも子に計画が実行されていたら、その後の世界史は大きく変化していたでしょう。歴史はこのような局面を何度も経てきています。

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トラファルガーの海戦
ネルソン提督の死に際の言葉「神に感謝する。私は義務を果たした」


この戦いにより。ロシアはフランス側の立場をとり、オーストリアは「神聖ローマ帝国』の解体に
追い込まれました。
1806年から1807年にかけては『フリードリッヒ大王』以来の軍事国家プロイセンがナポレオンに挑みますが、
これもフランス側の勝利に終わり、プロイセンはその領土を大きく失います。

 この時期、スペインでの半フランス抵抗運動が泥沼化しだし、まるでイラク戦争のようにフランス軍は
大兵力をスペインに釘付けにさせられます。
腐敗を誇ったフランス陸軍も局地的に破れる状況が出てきました。
ナポレオンの覇権が絶頂を迎えるその時期です。
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by futuregate3 | 2006-11-10 13:04
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