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英国の戦争の歴史(ⅡⅩⅣ)-ナポレオン帝国の絶頂―

英国の戦争の歴史(ⅡⅩⅣ)―ナポレオン帝国の絶頂―
~絶頂期は歴史の分水嶺?凋落の序曲

 「大陸軍」、なんて読むかわかりますか?・・・・・「だいりくぐん」です。
「たいりくぐん」はアメリカ独立戦争の植民地軍です。


 1911年にはスペイン王は兄、弟が王位にある、ブレストファーレン王国、ナポリ王は義理の弟、
その上、ローマ教皇領は併合し、イタリア王国、ライン同盟、デンマーク、オランダ、スイス、ワルシャワ公国
などの国々が属領か衛星国化していました。

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1811年のヨーロッパ
ブルー:フランス帝国

薄いブルー:フランスの属領


 同時にこの年は、局地戦ではありますが、ナポレオンの直轄軍が史上初めて破れた年でもありました。
 この時期、スペインでのイギリスの援助の元に激化する抵抗運動と大軍=20万人の駐留による
戦費の増大がもたらす、経済への圧迫、大陸封鎖令による、イギリスとの通商の遮断による、
ヨーロッパ経済の悪化などフランスにとり大きな問題も発生してきていました。
 そんな1812年再び、イギリスと歩調を合わせようとするロシアに対してフランス軍27万を中核として
同盟国軍をあわせて60万の大軍=大陸軍によるロシア遠征が始まります。

 これに対してロシア軍は徹底的な焦土作戦をとります。大陸軍は、スモレンスク、モスクワと
大きな都市を陥落させますが、大半の建物が焼失させられていました。フランス軍の兵站を絶つ作戦を
ロシアは取ります。焦土作戦により補給を立たれたことと、ロシアの厳しい冬がフランス軍・同盟国軍を襲いました。
 またコザック騎兵や民衆による被害も大きなものがあったようです。ロシアに侵入した大陸軍
生き残った兵士は2万数千人に過ぎず、20万人が捕虜となりました。フランス軍のうちパリまで生還できた
フランス軍兵士は5000人程度という有様でした。この間、わずか半年足らずのことでした。

            
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退却するフランス軍および同盟国軍


 世の中の『摂理』は歴史の中で証明されています。一度負の方向に動き出した歴史の流れは、
加速していきます。1913年、イギリス軍に支援されたスペインの内乱は泥沼化していましたが、
反乱派を支援していたイギリス軍が、後に首相になるウエリントンに率いられ、フランス軍を
撃破してしまいました。ちなみに、ウエリントンはアイルランド貴族出身の軍人でした。

 1913年、ロシアへの敗戦、スペインでの苦戦を見て、再び第6次対仏同盟が結成されました。
参加鉱区はイギリス、オーストリア、スペイン、プロイセン、スエーデンなどです。
この段階で同盟側とフランス側の動員力は逆転していたといわれます。
3日間にわたり、繰り返されたナポレオン戦争を通しての最大の戦闘、ドイツで戦われた、ライブツィヒの戦いで
同盟軍はフランス軍に勝利します。双方の死傷者は10万人近くの大激戦でした。
この戦いでの同盟国側の指揮官、バティスト・ジュール・ベルナドットは現在のスエーデン王室の始祖であり、
元フランス陸軍の元帥です。平民出身で、スエーデン人で、後にスエーデン王となり、元フランス陸軍元帥で、
同盟国軍指揮官でもあった人物です。まさに、この時代のヨーロッパを代表する人物でした。


ライブツィヒの戦いの後、戦場はフランスに移ります。
頂を越えたとき、ナポレオンの運命は坂道を転げ落ちるようにして、衰退していきます。
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by futuregate3 | 2006-11-11 12:36
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