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英国の戦争の歴史(ⅡⅩⅥ)―百日戦争―

英国の戦争の歴史(ⅡⅩⅥ)―百日戦争―
ナポレオンのリターンマッチです


エルバ島での、ナポレオンは精力的に領地経営をしたようです。島の財政は改善され、産業の振興、
貿易関税の改正など次々に施策を実行しました。
一方フランスではルイ18世が即位し、王制が復活しましたが、国民の支持はなかなか得られず
不安定な国内情勢が続いていました。おまけに約束の年金もフランス政府からは支払われず、
ナポレオンは個人的にかなり、窮乏していた様です。  

 このフランス国内の混乱のさなかナポレオンはエルバ島追放から1年足らずで島を脱出、フランスに
上陸すると、かつての部下が集結し、数日で25万の軍を組織し、パリに入場しました。
ルイ18世は逃亡し、ナポレオン軍は現在のベルギー方面に進出します。
同盟側はすぐに第7時対仏同盟を結びこれに対抗します。ベルギー方面にはウエリントン率いるイギリス軍、
オランダ軍、プロイセン軍などが布陣しました。緒戦はナポレオンの電撃作戦が功を奏し、フランス軍が
有利に戦いを進めました。すぐに体勢を立て直したイギリス・オランダ軍は一部プロイセン軍を加え、
ベルギーのラ・ベル・ラリアンスに布陣してナポレオン軍を迎え撃ちました。
イギリス、オランダ、プロイセン連合軍の指揮をとったのは後でイギリスの首相にもなる、ウエリントン公でした。

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ウエリントン公、アーサー・ウエルズリー。アイルランド貴族の出身
後にイギリスの首相となります。


 フランス軍の主力をプロイセン軍がひきつけている間に、ナポレオン直轄の約、700000の部隊が、
ほぼ、同数のイギリス・オランダ連合軍と激突しました。ナポレオンに往年の冴えはなく(一説には、歯痛のため)、
作戦上のミスも重なり、最後はフランス軍を振り切った、プロイセン軍約10万がフランス軍の側面を攻撃し、
連合軍側の大勝利となりました。
 『なぜか、戦場近くの地名から「ウオータールーの戦い」と呼ばれます。1815年6月のことです。
 この戦いでフランス革命以来約20年にも及んだ、ヨーロッパの戦乱の終止符が打たれます。ナポレオンは今度は本当に絶海に離れ小島、大西洋に浮かぶ孤島『セント・ヘレナ』に流されます。
 イギリスはこの戦争の戦後処理も含め、抜け目なく海外での植民地を増やしていきます。
ひとつは旧フランスに植民地を、ひとつはナポレオン戦争中に短期的であれ消滅してしまった、
対仏同盟側諸国の植民地の肩代わりという形を通してです。悪く言えば、大家が留守の間に上がりこんで
占拠してしまうやり方です。「貪欲」さと「老獪』さを感じます。そして何よりも戦乱を潜り抜けてきた
「歴史の重み」と、その間の培った「国力」が最後には「国」としての体力の違いを見せたのでは、
という気がします。ナポレオン戦争灰ci時部の例外を除けばイギリスの一人勝ちになりました。

 ロンドンにある、イギリスとヨーロッパを結ぶユーロスターに始発駅で有名なウォータールーは
この古戦場の名前から名づけられたものだそうです。
フランス政府からイギリス政府の地名・駅名についてのクレームが寄せられているそうです。

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by futuregate3 | 2006-11-16 12:43
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