20世紀の初頭までの英国は「自力変革能力」のある社会でした。 そしてその伝統は今でも、息づいています。 アーサー・ウェルズリー(Ⅱ) スペインでの戦役、ワーテルローの戦いを通し、ナポレオンの息の根を止めたウエリントン公 アーサー・ウェルズリーはイングランド出身の『バリバリもイングランド貴族の出』というわけでもありません。 アイルランドが、連合王国に併合される、その過程の中で。アイルランドのダブリンで生まれました。 父親は初代モーニントン伯爵ガレット・ウェズリーです。お父さんと微妙に苗字が違います。 プリントミスではありません。ウエリントン公の時代に改姓しています。 父の死後、母とともに、ベルギーに移り住みフランスの士官学校を卒業してから、イギリス陸軍に入隊しています。 父のあとを継いだ長兄が総督を勤めるインドに赴任し、その功績もありや、やっと爵位をもらえます。 つまりアイルランド出身で叩き上げ、貴族になった、決して『超エリート貴族出身』ということではありませんでした。 彼がアイルランド人であったかどうかはわかりませんが、連合王国を代表する「名門」の出身ということでもないようです。 鼻が高いので有名でした。 スコットランド出身 当初は軍人としてもいまひとつ」ぱっ!」とせず、『アイルランド議会の議員』になったり、アイルランド政府の 文官を勤めたりまた軍人に戻ったり、そこからじわじわ這い上がり、栄達し、イギリスの首相までになりました。 フランスでも同様なことが見られました。イギリスの場合、それと決定的に違うのは、特に激動・変動の時期 ということではなく、歴史的な転換点を経てでもなく、階段を上るようにして進む歴史の中で、国力が絶頂を 迎える時期に確立されていく、社会構造の中でもこのような「能力優先主義」が脈々と生きている、ということです。 地方議会以下に過ぎないアイルランドの行政府出身の人間が、『連合王国』の首相になっていくということは われわれがイメージするよりも遥かに強いダイナミズムが当時のイギリス社会には根付いていたということです。 そういえば、73代、英国首相のトニー・ブレアもスコットランドのエジンバラ出身です。一時期 オーストラリアのアデレードで少年時代を過ごしました。 それから、オーストラリアにある「モーニントン」という地名は『モーニントン伯爵』家にちなんだものです。 アイルランドと縁の深いオ-ストラリアならではの話です。―知ってました?―
by futuregate3
| 2006-12-03 18:48
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