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英国・ロンドン語学学校地図に大変動があるかも

英国・ロンドン語学学校地図に大変動があるかも
猫も杓子も、草木が靡く様にBC入りするのは、何か訳があるの?
BC認可校以外はビザが発給されなくなるという『うわさ』があります。

            
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ここにきて、英国・ロンドンの語学学校地図が大きく変わりそうです。理由は大きく分けて3つあります。
結論(現時点では飽くまでうわさですが)1つです。

ここ1年間のBC大量認可
今回の語学学校の大量認可はここ10年ほどは見られないことでした。
まるで草木もなびくといった様子で、大量のいわゆる格安校がBCになだれ込みました。
当初、英国にとり有数の外貨獲得産業のしかもその中核をなす、語学学校群をBCの管理下において、
再編しようという英国政府の思惑が感じられました。しかし、どうやら問題はそれでは収まらないようです。

BCの高姿勢
ここにきて、以前から若干その傾向がありましたが、BCの窓口レベルではBC認可校以外でのビザの取得が
かなり難しい、という発言が目立ちます。
2005年より施行の「教育機関の登録簿」採用とは別に現時点で非認可校のビザの取得が出来ない
もしくは、難しい、という内容の発言です。
現行のエントリークリアランス取得制度施行時の説明会で、BC認可校であるかどうかはビザの発給に当たり、
問われないと明言したことから見ると、大きな変化です。


「うわさ」
一部に、このような「うわさ」があります。
ここ、一両年中に非認可校にたいしてはビザが発給されなくなる、という「うわさ」が根強く流れています。

~推論~
ロンドンに見られる、BC否認可の格安語学学校はすべて廃業・倒産に追い込まれます。
・・・という可能性もでてきます・・・・。注意して動向を見る必要があるようです。



詳細はお問い合わせください。
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by futuregate3 | 2006-11-30 12:51
仏語から英語、英語から日本語になった言葉は、沢山あります。

仏語から英語、英語から日本語になった言葉は、沢山あります。

ノルマン・コンクェストでフランス語が英語に、日本の
社会のシステム・生活様式の欧米化で、英語が日本語になってます。

                                   
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言語は言語圏を超えて、時代・文化とともに動きます。フランス語と英語の密接な関係はすでにのべました。
英語化したフランス語は日本の生活様式が欧米化する中で、日本語化しています。
皆さんの周りでも日常化されて、フランス語が使われています。
これも以前に述べましたが、英語の語彙は5割とも8割とも言われる比率でフランス語を基礎に
出来上がっています。フランス語はドイツ語と言語学的に近い言語ですが、そのドイツ語と英語は
ゲルマン語系の言語として非常に似通っています。つまり、英語とフランス語は歴史的背景により、
ドイツ語と英語は言語的な同一範疇に入る言語として、共通部分が多いということです。
英語とフランス語は従兄弟関係みたいなものですね。
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従いまして、イギリス人がフランス語やドイツ語を習得するについてのエネルギーは日本人が
フランス語やドイツ語を習得する際のそれと比べ、何分の一かですみます。

ユーロトンネルの開通により、ヨーロッパとイギリスとの距離間は飛躍的に短くなっています。
われわれが感じる国境というようなものは少なくとも、ヨーロッパの人々の中では、いまや存在しないと
いえるでしょう。彼ら(ヨーロッパ人)は、2000年以上に渡り、歴史・文化を、ある意味で共有してきました。
1万年以上の人類の歴史の中、太古の昔から存在し続けたオゾン層は、この100年足らずで
破壊されつつあります。今後、これと同様のスピードでヨーロッパの言語も大きく変化していくでしょう。
ところで、こういった状況ですから、日本語の中にも英語があるいは他国語が流れ込んできています。
「ブログ」という言葉も「web log」を省略したものです。こんな現代にあたり、われわれ日本人の弱点として
語学力(今のところ、世界共通語としての英語ですが)のなさが言われ始め、小学校からの英語履修が始まっています。
しかし単純に語学の習得方法の強化だけの問題ではないような気がします。
その意味で『一家に一人は留学経験者』と言う時代がー日本における留学の大衆化の風潮の中でー、
実現することはある意味とても大きく、有意義なことだと思います。
私どもはその観点から『生活体験留学』、『日本脱出留学』が大流行なのは、とても好ましいことだと、考えます。
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一部の掲示板などでそのような風潮に対し批判的な意見をよく見かけますが、また語学留学の
比重が高いことを問題視する教育行政の姿勢もまた見られます。
まずは外国を見ないことには何も始まらないと考えます。
もし、われわれ日本人に国際化ということでハンディーがあるとすれば、外国との交わりのどうしようもないほどの、
相対的希少さ、にあるといえます。

フランス語起源の和製英語
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by futuregate3 | 2006-11-28 17:45
新企画、ブログ立ち上げのお知らせ
新企画、ブログ立ち上げのお知らせ

『ミス・メリッサの在日日記』
~新ブログ、若いアメリカ人女性から見た日本=『ミス・メリッサの在日日記』
来週から『留学のお話』の姉妹ブログとして始まります

                   
ミス・メリッサはアメリカのノースカロライナ州出身の今年22歳のアメリカ人女性です。
プロテスタント教会の牧師さんのお嬢さんで、『宣教助手』というような立場で7ヶ月前から、2年間の
予定で来日しています。音楽好きのお嬢さんで、かの『絶対音階』を持っているという、明るく、気さくな方です。
『留学のお話』では日本人の欧米認識を深めるために、そして本当に身についた英語力を育てるためには、
単に語学の習得だけではなく、歴史、文化-身近なものとしての食文化―、そして留学にまつわる、
正確な知識・認識が必要であり、現在の「留学の大衆化」の流れの中で、こういったことが一人ひとりの
留学生のレベルで深まっていけば、「すばらしいな」という思いで複数の執筆者により、書き進め
させていただいています。
新ブログは彼女の在日期間継続の予定です。1週間に1回更新を予定しています。
現在、彼女は日本人社会の中で日常生活を送っていますが、ある程度の時間の経過の中で、
彼女の日本認識も変わっていく部分があると思います。ただ欧米人の見た日本がある程度感じていただけるでしょう。
文字通り、蛇足と思いますが、一応日本語訳も付け加えさせていただきますが、教科書にない
英語の勉強にもお役立てください。出来れば皆さんのご質問などにも答えてもらおうと考えています。
ブログの内容については、特にテーマは決めずに彼女の日常レベルでの日記にしていければと考えています。


工事中ですが・・・・。 「ミス・メリッサの日本日記」
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by futuregate3 | 2006-11-25 12:52
英国の戦争の歴史(ⅡⅩⅥ)-大英帝国-

英国の戦争の歴史(ⅡⅩⅥ)-大英帝国-

『日の沈まぬ国―大英帝国』の完成です。


 ナポレオン戦争のおよそ20年にわたる、ヨーロッパの激変の中で、世界に散在していた
ヨーロッパ列強の『植民地』地図も大きく変化していきます。本国がナポレオンの侵略を受けたオランダの植民地の多くは、戦争が終わった後もイギリス軍が駐留したまま、イギリスの植民地に
移行していきます。特に南アフリカの、オランダ領ケープ植民地はフランスの侵攻を恐れたイギリス軍により
占拠されていましたが、戦争終結の後も結局はイギリス領化していきます。
東アジアのオランダ領の多くもイギリスの植民地となっていきます。アメリカの独立で大きな失策を犯した
イギリスはカナダを英連邦の一員のまま独立に導きます。莫大な借款の代償としてエジプトを手に入れると
平行して、東西アフリカの諸国を次々に植民地化していきます。
またフランスも多くの植民地を失い、その多くはイギリスのものとなりました。

        
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19世紀後半から20世紀前半にいたる大英帝国領
赤い部分です。


こうしてみてくると、イギリスの「巧妙さ」「粘り強さ」「総合した国力の強さ」が目立ちます。
制海権を制していたことがやはり大きいのですが、もうひとつ、この時期になると各国を悩ましたのが
戦費の調達でした。兵器も進歩し、無料の人間が戦力の時代ではなくなっていました。
「世界の通商」を押さえ、「世界の工場」といわれるほどに、産業革命を通して国内製造業の振興に
成功していた点で経済力を背景に持っていた点が、ボディーブローの打ち合いのようなこの間の戦いの
期間をしのげた大きな要素といえるでしょう。
それと見逃してならないものがイギリスという『国』そのものが数百年の血で血を洗う国内外の戦乱の中で
培ってきたものの力が大きいのではないでしょうか。そしてまた、そのの戦乱が加速させたイギリス社会の
階層・政治体制も含めた流動化・変革が『ジョン・ブル魂』に象徴される国民性をはぐくみ、『国』
として成熟させていったように思われます。1800年代から2000年初頭の時期、イギリスだけ
役者が『一枚上』に見えてきます。

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by futuregate3 | 2006-11-22 13:41
F-1ビザ取得―各種お手続きの代行を承ります。
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上記のお手続きのみ代行、いたします。
代行料=5,000円


通常、ビザの取得は何度もするものではありません。当社では上記の業務に限ってのみの
お申し込みを承ります。F-1ビザ取得については、留学関係の掲示板などには、根拠のない
噂・憶測などを聞かれ、種々のご心配・疑問が寄せられています。確かに初めての方には
「チンプンカンプン」なところも、ありますが実際のところ必要十分条件を満たしておれば、
問題は起きません。お申し込みの手順は以下のようになります。


お申込みはこちらからどうぞ。
(お問い合わせ内容の欄に、"代行依頼"など本記事の内容に関するコメントを入れていただければOKです)


お申し込み(FAX・メール可)
パスポート・I-20のコピー、当社―必要事項フォームをメールかFAXでいただきます。
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SEVIS申請料は原則、VISA MASTERカードでお支払いいただきます。
DS-156・SEVIS領収証明・面接予約詳細、DS-157,158申請用紙、及び記入サンプル送付

ここまでを3日以内でいたします。

1週間以内に大使館宛、申請料金をお振込みいただきます。
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よろしくご検討ください。
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by futuregate3 | 2006-11-18 13:16
北アイルランドの語学学校―ベルファスト語学学校―

北アイルランドの語学学校―ベルファスト語学学校―
意外や意外、アイルランドの語学学校は中国人が沢山!!


アイルランドでは、中国人移民が急増しています。
対人口比率で、中華料理屋がヨーロッパで一番多いのはアイルランドです。


近年、北アイルランドでの中国人移民は急増しています。「ベルファスト」の中国人地域は拡大が
続いています。上に記したようにヨーロッパではベルファストが中華料理店が統計的に一番多い
地域になっています。
     
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北アイルランド


それと平行して語学学校の中国人留学生の数も「あふれかえって」います。日本人1に対し5から
10位の割合です。

『エンヤ』の歌とは少し様子が違う感じです。この傾向はアイルランド全体に強いのですが、特に
『アルスター=北アイルランド』にその傾向は強いようです。北アイルランドの首都ベルファストでは英語、
アイルランド語についで中国語が日々使われている言語としては、3位とも2位ともなっているといわれています。
加えて、英語は英語のネイティブも参るという、「ノーザン・アクセント」と呼ばれる抑揚の強い独特の
発音になります。
それでも、ベルファストなどの語学学校は国内では、どんどん紹介されています。
アイルランドはその自然、気候(ロンドンぐらい、イギリス国内では比較的温暖な地方です。)文化など、
日本人好みの風土だといえるでしょう。一度は訪れてみる価値のあるところです。

でもウエールズ、スコットランド、アイルランドなどと同様に「長期留学にはお勧めできません。
学校の授業がどんなにしっかりしていても、長期留学期間中の70%以上はその地域の中で
生活することになるのです。
中国訛りの英語、『ノーザン・アクセント』風の英語になっちゃいますよ。



詳しくはお問い合わせください
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by futuregate3 | 2006-11-18 12:25
UKでないイギリスがまだありました。

UKでないイギリスがまだありました。
マン島オートバイレースで有名な、あのマン島も
イギリス王室の直轄自治領、なんです。


北アイルランドとアイルランドの間のアイリッシュ海に浮かぶ日本の淡路島ほどの大きさの島がマン島です。
住民は古くにアイルランドから移住してきた人達で、ヨーロッパでも最古の議会制度を持っています。
ジャージー島などと同調に、エリザベス女王を国家元首とし、代理の総督を置く、人口7万人強の王領です。
イギリス議会に議席は持たずに、完全な自治制度のもとで行政が行われています。
外交・軍事に関してはイギリスに委託しています。
               
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マン島レース

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マン島の位置(赤いところ)


 大きな観光資源として、ヨーロッパでは絶大な人気の『マン島オートバイ耐久ロードレース』が有名です。
 このレースはヨーロッパ最古の議会である『青空議会=ティンワルド』で毎年運営規則が
定められていることでも有名です。

それにしても不思議な国ですね、イギリスは。
それだけ、ある意味で伝統と文化と地域の成り立ちの歴史を大事にしているということでしょうか。
貨幣もマンクス・ポンドとスターリング・ポンドとの併用です。公用語は英語とマン語ですが、ほとんど
死語に近かったマン語の復古運動も近年盛んだということです。
もちろん英語は
「ノーザン・アクセント」の強いアイルランドの英語に近いものです。
でもきっと語学学校のひとつくらいあるんでしょうね
         


語学学校の選び方、お問い合わせください
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by futuregate3 | 2006-11-17 12:03
英国の戦争の歴史(ⅡⅩⅥ)―百日戦争―

英国の戦争の歴史(ⅡⅩⅥ)―百日戦争―
ナポレオンのリターンマッチです


エルバ島での、ナポレオンは精力的に領地経営をしたようです。島の財政は改善され、産業の振興、
貿易関税の改正など次々に施策を実行しました。
一方フランスではルイ18世が即位し、王制が復活しましたが、国民の支持はなかなか得られず
不安定な国内情勢が続いていました。おまけに約束の年金もフランス政府からは支払われず、
ナポレオンは個人的にかなり、窮乏していた様です。  

 このフランス国内の混乱のさなかナポレオンはエルバ島追放から1年足らずで島を脱出、フランスに
上陸すると、かつての部下が集結し、数日で25万の軍を組織し、パリに入場しました。
ルイ18世は逃亡し、ナポレオン軍は現在のベルギー方面に進出します。
同盟側はすぐに第7時対仏同盟を結びこれに対抗します。ベルギー方面にはウエリントン率いるイギリス軍、
オランダ軍、プロイセン軍などが布陣しました。緒戦はナポレオンの電撃作戦が功を奏し、フランス軍が
有利に戦いを進めました。すぐに体勢を立て直したイギリス・オランダ軍は一部プロイセン軍を加え、
ベルギーのラ・ベル・ラリアンスに布陣してナポレオン軍を迎え撃ちました。
イギリス、オランダ、プロイセン連合軍の指揮をとったのは後でイギリスの首相にもなる、ウエリントン公でした。

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ウエリントン公、アーサー・ウエルズリー。アイルランド貴族の出身
後にイギリスの首相となります。


 フランス軍の主力をプロイセン軍がひきつけている間に、ナポレオン直轄の約、700000の部隊が、
ほぼ、同数のイギリス・オランダ連合軍と激突しました。ナポレオンに往年の冴えはなく(一説には、歯痛のため)、
作戦上のミスも重なり、最後はフランス軍を振り切った、プロイセン軍約10万がフランス軍の側面を攻撃し、
連合軍側の大勝利となりました。
 『なぜか、戦場近くの地名から「ウオータールーの戦い」と呼ばれます。1815年6月のことです。
 この戦いでフランス革命以来約20年にも及んだ、ヨーロッパの戦乱の終止符が打たれます。ナポレオンは今度は本当に絶海に離れ小島、大西洋に浮かぶ孤島『セント・ヘレナ』に流されます。
 イギリスはこの戦争の戦後処理も含め、抜け目なく海外での植民地を増やしていきます。
ひとつは旧フランスに植民地を、ひとつはナポレオン戦争中に短期的であれ消滅してしまった、
対仏同盟側諸国の植民地の肩代わりという形を通してです。悪く言えば、大家が留守の間に上がりこんで
占拠してしまうやり方です。「貪欲」さと「老獪』さを感じます。そして何よりも戦乱を潜り抜けてきた
「歴史の重み」と、その間の培った「国力」が最後には「国」としての体力の違いを見せたのでは、
という気がします。ナポレオン戦争灰ci時部の例外を除けばイギリスの一人勝ちになりました。

 ロンドンにある、イギリスとヨーロッパを結ぶユーロスターに始発駅で有名なウォータールーは
この古戦場の名前から名づけられたものだそうです。
フランス政府からイギリス政府の地名・駅名についてのクレームが寄せられているそうです。

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by futuregate3 | 2006-11-16 12:43
英国の戦争の歴史(ⅡⅩⅤ)―エルバ島流刑―

英国の戦争の歴史(ⅡⅩⅤ)-エルバ島流刑―
~流刑なんでしょうが、『流刑というのとは少しイメージが違うようです。』


 ライブツィヒの敗戦から、5ヶ月足らずフランスは同盟国軍のパリ入場を許します。
1814年4月にはフランス元老院のナポレオン廃位宣言を受けて、9日後にはナポレオンは
退位宣言に署名します。あっという間の出来事でした。
         

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パリに入城するロシア軍


 エルバ島に捕らえられ、罪人として流刑になるというのが私たちの知っている高校世界史の
教科書で学んだ内容ですが、流刑は流刑でも少しイメージが違うようです。
 実質的には、「地中海でも比較的大きなエルバ島の領主として追放された。』ぐらいのイメージです。
フランス皇帝退位の条件が、ありました。
 年金が一年当たり200万フランの 皇帝の称号の保持 400人の親衛隊の保有
・・・・の以上の条件でした。元フランス皇帝ということからすると『大幅格下げ』でしょうが、流刑とは少し違います。
残念ながらこの条件の記された文書の減便でどのような語彙が使われているかは
わかりませんが、『日本語に訳すと”流刑”ということなのでしょう。』
                
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退位直前のナポレオン

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by futuregate3 | 2006-11-15 13:10
国際的であるということ(Ⅱ)

国際的であるということ(Ⅱ)
スコットランド出身、アメリカ海軍提督、ロシア海軍中将
晩年はフランスで過ごす。―こんな人がいるんです―



ジョン・ポール・ジョーンズは1747年スコットランドの生まれ、13歳のとき船乗りになりました。21歳で西インド諸島との交易を行う商戦の船長になりました。その後、しばらくの間、彼の経歴には
空白の時期があります。一説では、殺人罪で訴えられ、逃亡していたという歴史学者もいます。
とにかく、歴史の中に足跡を残した割りに、個人的な性格や、個人的な問題について問題を
残した人のようです。

イギリス海軍のネルソン提督、わが日本の東郷平八郎と並び世界三大提督に列せられるにしては
多少「光」の部分と「影」の部分のある人です。
   
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英雄か悪党か、ジョン・ポール・ジョーンズ


その評価も二分されている人です。ただ決断力と、男気と、行動力は並外れたものがあり、それだからこそ歴史の表舞台にその名を刻んでいるのでしょう。

アメリカ独立戦争に際しては、大陸海軍(タイリクカイグン)の創設に力を発揮し、中古商戦を購入しては
軍艦に仕立て上げていました。イギリス軍との海戦にも功績を残し、アメリカ国内ではある意味
英雄視されています。証拠といっては何ですが、現在彼のお墓はアナポリス・アメリカ海軍兵学校にあります。
フランス国王より新鋭軍艦をもらい、イギリスの新栄冠を撃破してみたり、アメリカの独立戦争時には
フランスを訪問し、礼砲射撃を指揮したり、『寅さん』的なところもあったようです。
独立戦争終結後は、じっとしていられない性格なのか、ロシア海軍の要請を受けロシアでも大活躍し海軍中将にまでなっています。あのバルチック艦隊の司令官が、確か中将ですから
大変な出世です。晩年は故郷のスコットランドにも帰らず、フランスで余生を過ごしました。
先にも記しましたが、アメリカ国内では海軍の創立者として、英雄視されています。

彼の場合も先に挙げた、ユーゼフ・アントニ・ポニャトフスキや、バティスト・ジュ-ル・ベルナドット同様に
『国』の概念を超えて、生きた人の一人なのでしょう。どうやら彼らにとり、国とは自らの架せられる
「くびき」ではなく、より個人的な価値観の中にあるようです。
今よりも世界が何倍も広かった「250年以上も昔のお話です」。

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by futuregate3 | 2006-11-14 11:46