~英国人にはアジア人の血が流れています・・・「もービックリ」~ 同じ島国でも、日本とイギリスとでは国家民族の形成の過程が全然違うようです。 日本の場合、縄文人に弥生人それにせいぜい女真人が混血して現在の日本人が出来上がっているようです。 イギリスの場合どうかと言うと、次のようなことが分かっています。紀元前の時代、最初にイギリスに 定住したのがアジア人種のケルト人です。ケルト人はもともとは中央アジアにいて、その後、ヨーロッパの中央、 ドナウ川やライン川流域に住んでいたようですが、紀元前末期に西方に大移動し、 ブリテン島にまでひろがったようです。 その後、紀元後に入ると「ガリア戦記」でも知られているようにローマ帝国の進入・支配を受けるようになります。 現在でもイングランド北部にローマの皇帝がAD1年ごろに築いた長城の遺跡が残っています。 イングランド北部がローマ帝国の北限の地のようでした 4世紀にはいると、いよいよノルマン民族の大移動が始まります。5,6世紀にはイギリスにもノルマン民族の 支族であるサクソン人、アングル人、ジュート人が侵入し始めます。お馴染みの、現在のオランダ付近にいた、 アングロサクソンによるイギリス支配です。アイルランドからはスコット人がスコットランドへ、 スコットランドからはビクト人も侵入してきました。このアングロサクソン人と戦ったのが伝説の「アーサー王」です。 大体、6世紀のことです。アングロサクソン人はイングランド王国を打ちたてました。 スコットランドにはビクト人とスコット人によりスコットランド王国が出来上がりました。9世紀のことです。 その後、1019年の所謂バイキング=デーン人によるイングランド制覇を挟み、このブログで書いてある、 「ノルマン・コンケスト=ノルマン軍の侵入」が1066年にはおこります。その後「百年戦争」「薔薇戦争」と続き、 16世紀のウエールズ統合、17世紀のスコットランド統合、さらには19世紀のアイルランド統合を経て、 今日のUKに至っています。これに加えて王政改革の動き、宗教改革に関わる騒乱が加わります。 まさに戦争・内乱の動きであると同時に、支配民族も目まぐるしく変わります。 我々は一口でイギリス人と言っていますが、ケルト人系、ローマ民族系、アングロサクソン系。 ビクト人・スコット人系、デーン人系、アイルランド人系、フランス系ノルマン人系といった具合に、 東西南北方向からの、複合民族なのです。イギリス人と呼ばれている人々はヨーロッパでも、 極めて特殊な民族形成を経た人々なのです。我々は近世にいたって確立された、「世界帝国」の末裔としての イギリス人を強くイメージしています。 イギリス人の国民性について触れている文章を良く見ますが、いまひとつ「ピン」と来ません。 その理由のひとつにこういった歴史の背景もあるのではないでしょうか。
by futuregate3
| 2006-10-06 12:55
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