20世紀最初の戦争、ボーア戦争はアフリカで戦われました。 世界の軍服のベーシック・カラ―がカ-キ色になったのは、この戦争からです。 アフリカであった、白人対白人の戦い 上の地図の、現在の南アフリカの中央部、オレンジ川以北にアフリカーナにより建国された国がありました。 オレンジ自由国とトランスバール共和国です。アフリカーナと言うのはアフリカ生まれの白人のことで、 旧南アフリカ地域(当時はケープ植民地)の宗主国であったオランダ人の子孫たちです。 彼らは完全の白人ではありますが、yトー六津\派を知らない白人です。 ナポレオン戦争時に一時本国のオランダは事実上消滅状態にありました。 ケープ植民地の防衛目的でイギリス軍が派遣されましたが、ナポレオン戦争以降も撤退しませんでした。 これに対抗してオランダ系のアフリカーナは自分たちの国をケープ植民地の奥地に建国しました。 アフリカーナの建国した、国々は次々とイギリス軍に制圧されるのですが彼ら、アフリカーナは そのたびに奥地へと後退を繰り返しながら原住民である、アフリカ人と戦い、オレンジ川以北の地に 踏みとどまりました。これがトランスバール共和国とオレンジ自由国です。 この二つの国は協力して、1880年から1902年の間イギリスと戦います。 この戦争の詳しいことは近代史の領域なので、その詳細はそれなりの記述が多く出ていますので そちらに詳しい説明は譲ります。ただ当時の戦争は火砲利用に移行しつつありましたが基本的に 密集隊形をとる歩兵と歩兵の激突により勝敗の行方は決せられていました。 これに対し、アフリカーナは騎兵による散発攻撃を行いイギリス軍を悩ましました。 今で言う、ゲリラ戦です。それともう一つ、アフリカーナによる狙撃作戦も大きな戦果をもたらしたようです。 当時、イギリス軍の軍服は伝統的な「真紅」で(現在も各宮殿の衛兵の制服は真紅がベースです。)した。 これが被害を拡大しました。この戦争の後期になるとイギリス軍の軍服はこの被害を抑えるために、 カーキ色に変わりました。ボーア軍には特に制服がなく、彼らの農作業服が戦闘服であったためです。 これが当時日英同盟にあった日露戦争での日本軍の軍服の色にも影響を与えました。 以後、色とりどりだった各国の軍服はこれに習い、やがて軍服=カーキ色と言うのが今日に 至るまで、世界の軍隊の常識になります。19世紀から20世紀にかかる期間、数百年間継続して、 イギリスはまだ戦争をしていました。日本はこのころから、対外戦争を始めます。 日露戦争もクリミア戦争以降の英国。ロシア間のパワーバランスの影響の下で結ばれた経緯もあります。 日露戦争自体がイギリスの対ロシア陽動作戦ー代理戦争と言う見方もあります。 イギリス人と比較して日本人が遺伝子レベルで、その国際性については、超マイナーであり、「赤ん坊」のような存在なのでしょう。このことは謙虚に受け止めるしかないでしょう。 『正規留学』などと、力まずに『生活体験派留学』でも『語学留学』でも良いと思います。 語学や、知識以上のものが必要なのですから。とにかく見ること、感じることからはじめましょう。 以前にもお話したように否定できない程度に、私たちの「形式論理」は「もろ」、日本人なのですから。
by futuregate3
| 2006-12-23 20:56
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